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仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル感想

https://www.toei-video.co.jp/ooo10th/

仮面ライダーオーズ10周年

 仮面ライダーオーズの10周年記念作として本作『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』の制作が発表されたのは2021年11月5日のことである。
 当時と変わらない出演陣の再登場、本作初登場の新コンボ、そして何よりオーズ本編で消滅したはずのアンクの復活、特報映像に映し出されたそれらはオーズオタクの我々を掻き立てるには充分すぎるほどの情報だった。これまでムービー大戦MEGA MAXや平成ジェネレーションFinaleで本編後の彼らの活躍は度々描かれてきたが、今回は"復活"を銘打っており正真正銘の「いつかの明日」なのである。歴代作品の中でも仮面ライダーオーズが一二を争うほど好きな私にとってこの作品を見逃す手はない。

 そして時は流れ2022年3月12日、遂に本作は公開された。されたのだが、TwitterのTLに流れてくる一足先に作品を観たであろう面々のリアクションがどうにも歯切れが悪い。監督・田崎竜太氏、脚本・毛利亘宏氏の盤石の組み合わせ、何より、誰もが認めるオーズトップオタクの主演・渡部秀氏が携わっているのである。期待はずれの出来になるなど毛ほども考えていなかった私にとって意表を突かれる思いであった。

 賛否両論の様相を呈していた『復活のコアメダル』だが、前述の通りどんな出来であろうが観ないという選択肢は私の中にはない。ようやく都合がつき公開からおよそ1ヶ月が経ったこの度、ようやく映画館へ足を運ぶことができた。

衝撃的なストーリー(以下、ネタバレあり)

 物語はどういう訳かアンクが復活したところから始まる。蘇った800年前の王とグリードたちによって滅亡の一途を辿っていた世界を舞台に、お馴染みの比奈ちゃんやお兄さん、知世子さんたちがレジスタンスとして銃を手に前線に出ているのである。これまで争いとは無縁だった知世子さんが戦わざるを得ない状況というのはなかなか精神衛生上よくないものがある。
 本作は我々視聴者と同じく状況がイマイチ掴めていないアンクの視点で物語が進行していく。序盤の「なぜ世界はこうなってしまったのか?」「アンクはなぜ蘇ったのか?」、そして「どこか様子がおかしい映司」と数々の疑問で視聴者をグイグイと引っ張っていくストーリー展開は見事だ。

 状況が説明されていく中で衝撃的な事実が明らかとなる。なんと映司は既に800年前の王と交戦しており、居合わせた少女を庇って致命傷を受けていたのである。私はこの時、嫌な予感しかしなかった。本作に関して「賛否両論だ」ということは既知の情報だ。単純に「致命傷を受けていたけどなんやかんやで介抱に向かいました。めでたしめでたし」とはいかないはずだ。最悪のシナリオが脳裏をよぎる。

 果たして予感は的中する。全てを終えた映司は庇った少女の無事を確認するとアンクの腕の中で満足気に息を引き取る。目を見開いたまま事切れそのまま静かに物語が幕を引いていくのをただ呆然と見守ることしか我々にはできない。否応なしに映司の死を突き付けられ胸が締め付けられる思いだ。こんな結末望んでない。


こんな結末でいいのか?

 今作はオーズ完結編とも言うべき位置付けの作品である。本来であれば手放しで絶賛したかった。だが、この結末を誰が喜べるだろうか。
 終盤、映司はゴーダに自身の邪魔と判断され強制的に分離させられたことで生命維持が困難となるが、アンクが咄嗟に憑依することで事無きを得る。「アンクが映司に憑依する」、この時私はその手があったかと膝を叩く思いだった。思い返してみれば今まで映司にアンクが憑依したことは無かったはず(私が覚えてないだけかもしれない)だし、ゴーダに頼らなくてもアンクがグリード式生命維持装置として少しずつ回復させていけばあるいは……という可能性がここで示唆されるのだ。
 しかしその思いも呆気なく崩れ去る。ゴーダを撃破した後、今度は映司自らの意思でアンクを追い出す。は???なんで?????まったく意味が分からない……。
 その行為が自身の死を意味することを知っていながら自らの意思でアンクを追い出す映司、ここに関しては完全に解釈違いだ。火野映司という男はそんなことする奴だっただろうか?番組開始当初こそ無欲な男として見られていたが、その実、ヤミーすら驚く程の欲望を抱えていたことは作品内外問わず周知の事実である。アンクが復活したことだけで満足するような男では決してないはずだ。アンクも生きる。自分もしぶとく生きる残る手段をとる。火野映司ならそういう選択をするべきではないか?そう思えてならない。

 ただ、先に触れた通り今作はメインライターだった小林靖子氏が参加していないだけで、仮面ライダーオーズ本編を制作した座組がほぼ再集結しているといっていい。ましてや主演の渡部氏は発言権のある仮面ライダーオーズの強火オタクだ。アンク役の三浦涼介氏だって『オーズ』に対する思い入れは一介のファンである我々とは比べ物にならないほど強い。彼らが納得したからこそ、この作品が世に出てきたという側面は当然ある。そう考えると本編最終話の「お前がやれって言うなら、お前がホントにやりたいことなんだよな」のセリフが脳裏をよぎり、振り上げた拳をどうすればいいのか分からなくなってしまう。(反面、本当にこの結末がやりたかったことなのか???という言葉にできない感情もある。)

 苦言ばかりが先行してしまったが、当然見どころも多い。出演陣の迫真の演技はそのひとつだ。例えば、映司が800年前の王から少女を庇うために死にものぐるいで走り寄るシーンは本当に鬼気迫るものがあったし、心象世界で映司と再会したアンクが目に涙を浮かべるシーンもグッときた。
 新登場のタジャドルコンボエタニティも文句のつけようがないほどカッコいい。最終話の「タジャドルコンボと肩を並べて戦うアンクの幻影」の対となるような演出は、(映司の肉体を使っているとは言え)まるでアンクがオーズに変身しているかのようで、タジャドル初登場時のなんとも言えないアンクの羨む顔を思い返すとこちらも気持ちがこみ上げてくる。プロミネンスドロップの正当進化のような必殺技も劇場のスクリーン映えする派手さで印象深い。

おわりに

 他にも初登場の人造グリード・ゴーダのキャラが凄い好きだという話やメズール役の矢作穂香氏が当時以上の妖艶な演技を身に付けて帰ってきた話、仮面ライダーゴーダのスーツデザインと流用が素晴らしいという話など触れたい要素はまだまだあるが、あの結末の是非を本題として取り上げなければならない都合上省略せざるを得ない(機会があればこれらの話題もいつか触れたいとは思う)。
 映司が絶命しそのまましっとりと終わる本作の構成は、この結末を是とするならばこれ以上ない良質なものだろうことは間違いない。間違いないのだが、「火葬されている本郷猛が特に理由もなく蘇るなら火野映司だって蘇ってもいいだろ」という妄想の挟まる余地すらないのは辛い。
 火野映司という一人の物語の主人公が死に、今後仮面ライダーオーズ"本人"として客演しない。その事実だけが残ってしまった形だ。